2013-06-19

 脳内で自分の生活をナレーションしてみると、その文章は冗長なものになってしまうだろう。全てを記す試みも考えたのだが、一日の終わりに書くことになったことだけがその日の印象的な出来事だったのだと思えば、特に勿体ないとも感じない(でも結局書きたくなったので書いている)。

 大学。2限:オペレーションシステム。15分ほど遅刻して教室に着いたら休講だった。一番楽しみにしていた講義が休講で残念に思いながら(前回アナウンスがあったのをすっかり忘れていた私に非があるのだが)、理学部1号館のドトールに移動。朝食を摂り、大学に行く道すがら読んでいた森博嗣冷たい密室と博士たち』の続きに没頭する。昼休み前になって午後の講義を受ける気を無くしたためバイトへ。だらだら仕事をして、たまに本を読みつつ、記事の前半部を書いた。ちなみに3限:科学技術の社会史、4限:ミル自由論演習、5限:感情心理学。正直なところどれもあまり面白くない。

 朝家を出るときに、携帯電話をいじる時間を減らして手持ち無沙汰になるであろう隙間を何で埋めるか考えを巡らせ、ああそうだと未読の本を並べた棚から文庫本を一冊掴み、鞄に入れた。それが『冷たい...』だった(非常に自分の行動について叙述的になっている。そういう調子なのです)。

 森博嗣のデビュー作『すべてがFになる』を読んだのはもう一年くらい前かもしれない。内容をあまり覚えていない。なるほど当時は理系ミステリという文句は注目を集めたのかもしれないが、話を追っていて真新しさを感じた記憶はない(タイトルの意味に感心したことは覚えている)。彼の他の著作も読んでいない(強いて挙げるなら『どちらかが魔女』)。

 本、とくに小説を読んでいると、自分の脳内を占める言語の割合が増して、感情の起伏や漠然としたものが収まって、思考全てがきれいに言葉で叙述されるようになる。小説を読む速度で言葉を取り込んでいくと、ちょうどいい具合に脳の言語野が刺激されて活発になるのだろう。数学書を読んでいるとスピード的に遅くなって言語が活性されるとは言えない。タイムラインを追っても思考は綺麗にならない(いわば他者の雑念の固まりなのだから……、と否定的なこと言っても仕方ないのだが、ときにはそれが面白くもあった)。そういえば最近は小説を読んでいなかった。精神面で調子が悪くなったら、小説を読んでコントロールを心がけるといいのかもしれない。とても落ち着く。

 この記事の2文目、「考える」「思う」「感じる」という私的「三大頭の中ワード」を全て使っている。もう少し語彙を増やしたいのと、どうしても自分の思考について叙述的になってしまう癖をうまく意識できるようにしたい。

 

 (ここから夜)バイトを終え家に戻ってきた頃には日付が変わっていて、今日の仕事は散々だったと振り返る。簡単な仕様変更の方針が経たず長い時間悩んでいた。ときおり上司の怒鳴り声が聞こえてきて頭がおかしくなりそうだった。夕食も気付いたら食べる時機を逃してしまった。帰りは雨が降っていたが傘を持っていなかったので濡れて歩いた。どうにも元気が無い。

 直前に書いたことを読みなおしてみれば、元気が無いのも当たり前だった。無理に気張らず、今夜はさっさと小説の残りを読みきって寝てしまいたい。と言いながら洗濯物が溜まっているのに気付きこの時間から洗濯機を回している。わけがわからん。

 何か考えたことがあっただろうか。あ、課題終わってない。それくらいだ。課題や試験の追い込みを考えると来週あたりから忙しさのピークが始まるから、今週のうちにバイト入れておかねばと思ったのだけど、木金の夜は20時まで講義があるから無理だったりする。土曜か。

 読書をしながら、ああ作家になりたいな、などと他愛のないことを考えていた一日だった。

 

では。

広告を非表示にする