2013-06-20

 起きたら寝坊していてそのままの気分で大学に行かなかった。1限:ネットワーク工学概論、2限:西洋哲学史(いずみん)、後略。

 昼はミートソースを消化した。午後はのんびりだらだら布団の上にいた。ソファが届くのは土曜で、届いたらじっくり座ってごろごろしたい。コーナーある一人用のやつ。

 とりあえず食後のもったりした感じのままだと勉強できなくなってしまう、というのがわかっているので満腹になっている自分を叱りつつ、まずC84用のシナリオを考えてた。そのあとは特に何もしていない。アーキテクチャの教科書読んでたり。

 

 「小説家になろう」がポルノだと言ってる記事を読んでふんふんなるほどと頷いていたことを思い出した。私も一度あそこに投稿してみようとサイトを覗いてみたことがあるのだけど、冒頭から「自分の本能的欲求を満たす」ことに重点を置いた作品しかなくて思わず仰け反った記憶がある。はっきり言えば気持ち悪くて、こりゃいかんと思い引き返した。そこは人間の醜さを乱暴に突っ込んだ闇鍋みたいな場所で、読む気にはならなかった。

 うーん。ライトノベル批判をしたいわけではないのだけれど、個人的な感覚としてどうしてああいったものが苦手なのかと言うと、やはり「本能的欲求を満たすという目的が透けて見える」からだろうか。「透けて見える」というのがポイントで、本来は他者に開陳するのを憚るべき欲求を、非現実的なシンボルを愛好する方向に転化することで正当化して公表しているような感じがするのだ。「現実逃避」や「性的表現」が根本の欲求であるにもかかわらず、「ライトノベル的なファンタジーやキャラクター」が好きですと言うととたんに正当な(他者への開陳を厭わないような)趣味であるように主張され、いかにも私は恥ずかしいことはしていないんだという欺瞞を孕んでいるように見えるのだ。

 ただ、非現実的なシンボルを媒介しているがために、愛好の動機として(その裏側ではなく)シンボルそのものの芸術性や崇高性に重きを置いている感情も多いだろうし、私はむしろそちらのほうが比率として過半数なのだと思う。

 わかりやすい例を出すと、いわゆるエロゲーでもシナリオ的に完成度が高いものがある。エロゲーそのものは根源的にはエロを求める人間がこっそりやるものだけど、シナリオが面白いと「このゲームは面白い」とアピールしたい気持ちが出てくる。でもエロがあるから誰にも彼にも公表するわけにもいかない(仲の良い友人に勧めるくらい)。だから基本的には趣味として公言するのは憚られる。

 これが薄まったのがライトノベルだと考えれば、伝わりやすいかと思う。今度はあからさまなエロがないから「この世界観が好き」「このキャラが可愛い」と比較的容易に公言できる。参入規模も大きいから「シンボルそのもの」を目的とした人(エロゲーで言うと「エロは興味ないけどゲームという媒体でシナリオが書きたい、でもエロがないと市場に出す前提条件が満たせない」人)もたくさんいる。私もそういった嗜好には大いに共感できる。しかし参入条件的には「本能的な欲求を満たすようなシーン」が要求されていて、多くの作品でわざとらしくそういったシーンが配置してある。そのわざとらしさが私は苦手なのだ。「君たちはこれが欲しくて読んでいるんだろう?」みたいな。それは何というか、とても美しくないなぁと。

 

 あと「学問が虚しいと」いう言葉、覚えておこうと思う。役に立たないことをするのは、人間だけだとも。人間の知的好奇心や探究心というものは、生命全体から見ても重要な要素かなぁと私も思っているので。

 

では。

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