2013-08-04

 なんというか……。精神衛生の話だ。たとえば自分が部屋にいるとして、部屋が散らかっていると「掃除せねばならぬ」という心理的な圧力がかかる。読んでない本が積まれていれば「読まねばならぬ」とか、自分のお腹を見て「運動せねばならぬ」とか、まだ終わっていないレポートがあるのなら「レポートをやらねばならぬ」とか、さまざまな圧力がある。意識のうちに入るもので自分が未着手なものがあるなら、それはわずかにでも精神を圧迫する。そうした細かいプレッシャーがじわじわと精神衛生を侵し、健全性を奪い、脆弱さの温床を生み出す。つまり、やらなければならないことは早めに片付けた方がいいということだ。それがいくらか苦労を要するものでも、完遂した後の解放感の方が衛生的によろしい。……今日私がせっせと部屋の掃除に勤しんで学んだのはこういうことだ。

 15時も回った時間に電話で起き、三時間ほど堕落に徹したのち「このままではいけない」と起き上がる。はじめは前期のプリントの整理をしていたのだが、テーブルの上に高く積まれた本の山々を見ているうちに、試しに今あるカラーボックス兼本棚の横にもう一つ(そういえば箪笥の単位は棹である)同じ物を置くことができないかと寸法を確認することにした。すると見事わずか数センチの余裕を発見したので、急遽買い物に踏み切ったのだ。ついでに収納用のファイルも買った。余談だがカラーボックスは1780円である。昔CDを買い漁っていた時期にニ◯リで同じ材質のCDラックを買ったことがあるのだが、横揺れで接合部が大破したことを思い出し、L◯FTまでわざわざ行って購入した。そういえば、帰途で通りかかったコンビニのレジカウンターの中で、女性店員が目薬をさしているのを見たことを思い出した。帰宅後すぐにボックスを組み上げ、本を詰め、床に散在する塵芥を処理し、ころころろーらーでゴミを集め、雑巾がけをし、すっきりしたところで風呂の掃除がしたくなり、ユニットバスゆえにそのままトイレの掃除もして、夕食の前に台所の片付けもしなければならなくなり、あれこれ済ませて夕食を食べる頃には日付が変わろうとしていた。たまにはこういうこともいいものだと思った。

 つまり8日提出のレポート2本が終わっていない。当日は昼の12時までに提出しなければならないのを憶えておかなくてはいけない。前日に徹夜すればどちらも終わるくらいの分量なのだけど、よく見たら2つ合わせて10000字以上が必要になっている。あれ、終わるのかなこれ……。そして夏コミが終わるまで、私の夏休みは始まらないのかもしれない……。

 補記。未来像について。憶えておきたい要点は3つ。1点目は、人間がヒトという動物である以上は、いかにヴァーチャルで補完しようとも、人間相互における知覚的な事象については直接のやりとりを必要とするということ。たとえば仕事で偉い人に挨拶をするとしたら、わざわざ相手の居室まで直接出向いて頭を下げた方が「苦労をした」という意味で印象が良いものだ。ヴァーチャル的なもので「楽をする」のは合理的効率的だとしても決して良い印象は与えない。そしてもっと根本的な意味で、人は相手と場を共有すると安心できるのである。ヴァーチャル的なものを「媒介する」という機構ゆえに、間接性による不安感という弊害が起きる。伝達情報を抽象化することは、相互の正確なコミュニケーションを阻害する。口調や表情などの身体表現然り。

 2点目は、文明的に飛躍的な革新が起きる契機となるのは、人間以上の知性と繁殖力を持ったヒューマノイドが登場するときに限られるだろう、ということ。呼称は単にロボットでもAIでも新人類でも構わないのだが、生み出すのは人間である。1点目を踏まえると、いかに技術進歩があろうとも文明を革新的に飛躍させる(ここまでの論旨だと「ヴァーチャルへの移行」を指すことになるが)までには至らない(ハードSFへの推移の困難さ)。パラダイムが大きくシフトするのは、人が自らの知性を正確に把握することができるようになってからだろう(倫理的な視座は進歩の抑止力にはならず、すべてが終わった後に反省として提題されると思われる)。ただ今の技術進歩は「生命の模倣」ではなく「高速演算の実現」寄りであるから、前者の革新はまだまだ見込めないように思える。何十億年もかけて環境適応と自己組織化を繰り返してきた生命という神秘的なシステムを解き明かすには、どうにも人間の頭では難しいのではないか、とも思う。そんなこともないのかなぁ。まだ推し量れるほどの知識がないから、本を読んでからまた考えたい。

 3点目は、少しズレるけど、技術の透過性の問題。透過性とはたとえばパソコンが「機構を知らない人間でも使える」という性質のことだけど、この性質はどんなに高度な技術になってもある程度保持される。ある程度というのは、専門的な知識を有さない人間でも現実的な範囲の努力で習得が可能である、という感じ。現代の携帯電話だって、GUIのおかげで様々なアプリケーションが使える。我々は、「こういう仕組みで動く」ということは知らなくても、「こういうことができる」ということは知っている。一般市民の手に届くものは、いつだってこうした透過性を備えているのだろう。臆することはないし、人間の知性など限られているのだから、突然頭が良くなったりもしないのだ。SFにおいて、その登場人物が事細かにナノマシンの構造やGrey gooが起きない理由を説明するわけもない。なんというか、地に足の着いた物語を考えなくちゃならない。

 つまるところ、「そこまですごいことにはならないのだ」ということを自分の認識として持っておきたい、というのが以上3点を書いた意図だ。ただそれだけ。

 

では。