2013-08-21

 昼起きて、定食屋で昼食を食べて、喫茶店に行って絵を教わっていた。難しい。違和感のない絵というものが描けない。模写も含めてもっと量を積まないといけない。表現のバリエーションも少ないし。夜はファミレス、その後少しまた絵を練習して、雨止むのを待ってから帰ってきた。ビール飲みながらごろごろしてた。

 

 私が大学を卒業したのは1988年の春だった。移民政策についての簡単なシミュレーションで卒論を書いて社会学科を卒業し、メーカーの事務として就職した。当時は特に仕事を得るのに苦労しなかった。バブルの全盛期、大学生はどの企業にも歓迎された。仕事らしい仕事をしなくても生活するのに十二分な給与が与えられ、誰もが毎晩酒を飲み踊り明かしたらしい。私はそこまで活発じゃなかったし、すぐに子供ができて会社を辞め、出産や育児に追われることになったから、楽しかった思い出は少ない。ただあの時代は、今のような閉塞感が一切なかった。諦観や失望、無力感といったものと無縁だった。必ずしも幸せではなかったかもしれないが、決して不幸ではなかった。いや、不幸でないのは今も同じかもしれない。今はまだ、やがて到来するであろう苦難の日々が、じわじわと迫ってきているだけなのだから。

 去年、母を亡くした。老衰で、眠っている間に静かに息を引き取ったそうだ。三年前に他界した父の後を追うように、自然にこの世を去っていった。母は死ぬ数日前に私に電話をかけてきていた。私や孫の近況を尋ね、元気でやっている旨を聞くと、それは良かったと安心した声で言って、会話の最後で「もうそろそろかもしれない」と言い残して電話を切った。しっかりとした性格で面倒見のよい母親だった。三人いる子供がみな無事に結婚して家を出てからは、夫と二匹の愛犬と慎ましく過ごしていた。最期まで自分の子供に介護の手間をかけさせることなく、死んだ後の財産の管理までしっかりと決め残して去っていった。

 今年の春、下の娘が就職して家を出てから、夫と二人の暮らしに戻った。子供がいない静かな食卓で、二人で静かに食事をする毎日。寂しさはあるものの、満たされた穏やかさがある。自分の役目を果たし終えた感覚があり、もう人生もそう長くはないと感じる。でももう少し続きそうだから、残りをどのように過ごそうかと思いを巡らせる。大学以来手を出していなかった楽器に触れてみようか、実家と同じ種類の犬を飼おうか、などと。

 役目を果たし終えたのだろうか。充実感はある。家庭については、残りの人生を夫と二人で生きていくだけだ。子供もちゃんと成長し、これから幸せな家庭を築いていくことだろう。私が主体的に行うべきことなど、もう何もないように思える。しかし、確かに冷静に考えるならば、今私は私の問題意識を無意識に封じている。私の生きる社会に明るい未来が待ち受けているわけではないという現実があり、それを見ないようにしている。しかし私には、たとえ一人の一般市民でしかないとしても、まだ何かできることがあるのではないかという、愚かな考えがある。そして実は私には誰にも知られていない特殊な能力があるのだ。その能力を活かせば有益なことができるかもしれない。

 ここから、五十代に差し掛かる一人の専業主婦が日本の未来を救う話を書きたいと思ったけど、能力も何も思いつかないのでパスで。

 

では。

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