2013-09-04

 身体論ないし身体にかかわる現象学でよく言われることだけど、自分が操縦するものは、杖であれ自転車であれ、慣れてくると自分の身体の一部分として認識されるようになっていく。最近私が自転車に乗ったさいに実感したのは、いちいち細かい制動など意識せずに自由な操縦が可能になっているなぁという「慣れ」の感覚だ。この慣れの感覚を自動車の運転に関しても掴むことができれば……、というよりも、やがて掴んでいくだろうという確信があって、それが将来的な楽しみを期待させる。自分の生の身体だけでは実現することができないような大きく速い動きが自動車によって為され、しかもその動作はあたかも自分の身体そのものであるかのような自由な操作感と一体感をもたらす。右も左も加速も減速も、細かい動作もすべてきめ細かに反応してくれる駆動が、自分に運動能力的な全能感を与えてくれる。まぁ車を運転するのが楽しい人は、そういうところが良いんだろうな、などと考えていた。景色見るのが好きで技能教習中にぼーっと窓の外を見てしまって注意を受けたりして、注意力の散漫さも自覚することになって、果たしてどうなることやら……。

 つまり運転が楽しい。適性検査みたいな名の性格診断試験を受けさせられたのだけど、あんまり問題ないようだった。「格好つけずに地味な運転を心がけましょう」という点だけ弾かれた。そんなことだろうと思ったけど少しショックである。

 毎晩宿に戻るころには疲れきっていて、暇つぶしに潰そうとしていた勉強や積読もあまり消化できないような気がする。もう少し体力をセーブして行動しなくては。

 

では。

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