2013-09-09

 遠くに夕焼けが見えた。淡い紫と紅のグラデーションが綺麗だった。それ以上は語る術を持たない。世界が広いということを実感するためには、逆に自分がちっぽけな存在なのだと知ることも有用だ。相対的な問題になる。

 自転車に乗れるようになったのは小学一年生のときだったと思う。当時住んでいたマンションの前の道路は歩道が狭く、母は私が自転車で敷地の外に出ることを禁じた。転居してから自由に自転車で行動できるようになり、頻繁に隣の町のスーパーまで出かけた。妹の保育園があって、その迎えの時間に合わせるのだ。私は小さい頃から、自分勝手に自由気ままに行動する子供だったのかもしれない。門限で揉めたこともそう多くはなかった。近所の学習塾に通うようになってからは、塾の授業が終わって帰宅する時間が自然と門限になっていた。それでも帰路は友達と遊んでいたけど。

 そういえば初めて一人でおつかいに行ったのは幼稚園の年少かそのあたりだった気がする。私はコンビニにメロンパンを買いに行った。お金の計算は何となくできた。買い物の仕方も日頃から連れて行かれていたからわかっていた。だから難なくこなせた。しかしそれでも、家に一人で留守番させられるのは辛かった。2才くらいの頃だろうか。母は外出して、事前に言い伝えていた帰宅時間を30分ほど過ぎても帰ってこなかった。母の身に何かあったのではないかと心配になったが、自分が家から出て探しに行くわけにもいかない。私は寂しさと心配な気持ちを足したような感情で泣き出してしまった。そのうち母が帰ってきた。あまり悪びれた様子も見せず、私が泣いていることに驚いているようだった。そこだけが記憶に残っている。幼少の頃の記憶で大人になるまで残っているものは、おそらく相当に人格の規定に寄与している要素なのだろうと思う。

 

では。

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