2013-11-10

 昼過ぎに起きてターナー展に行った。夜は家でコンビニ食。眠くなって早い時間に寝てしまって、妙な時間に起きてしまって、眠れなくなった。

 文章を書く気力が出ないというのはこの日記を毎日は書かなくなっている(日付は合わせてあるけど一気に5日分くらい思い出して書いたのです)ことからもわかる。書いたか忘れたけど冬コミに受かって(3日目西り15aとかだったと思う。Aixaxiaというサークル名です)、その構成を考えているだけの一日が多い。と言っても内容は大筋で決まっていて、資料集めと気分の問題という、何というか活力を貯めようと頑張っている状態。表紙に描こうとしている絵の練習とか。1ヶ月でほとんどゼロからまともなものを作ろうとしている私もなかなか無謀なのだけど。

 じゃあ何が足りなかったのだろうと考えてみて、たしかに今日の行きの電車で小説を取り出して少し読んでみたときの満たされた感覚が自分には必要なのだと感じた経験を思い出すと、やはり今すべきなのは言語的な輪郭をはっきりさせることであって、いやもちろん絵を手慰みに描くのはいいのだろうけど(しかし絶対数は少ないままだ)、とりあえず他の何よりも言語野を刺激すべきなのだ。

 大学に行く気力もあまり出ないというのが本音で、本当に私は精神的な余裕というものがすぐに失われてしまうのだなと実感している。生真面目でもあるし、やりたいことだけを考えてしまうという逃避の側面もある。何に出なくてはならないのだっけ、年が明けたら余裕も出るだろうし、最低限に絞ってもいいかもしれない:月2火23水2木2金4、こうしてみるとそこまで多くないのだ。どうせ来年度も大学には行くのだし、単位に困ることは無いだろうから、今絞って取りこぼすものがあっても大きな損失にはならない。つまり週に6コマでいいということで、普通に空いた時間でバイトに行って余裕出るくらいに稼いでその合間に読書なり原稿なり進めればいいのだ。もちろんそれが簡単にできるのなら苦労しないけど。

 小難しいことを考えずに言語野を刺激したいのならさっさと物語を読めばいいのだ。文学部の図書室に行けば世界文学全集というのがあって、そこに私が読みたい話がいくつも入っていたりするし、手元にある小説を読みなおしてもいい。そういうことをすべきなのに、でも気付いたら一日が終わっているのだ。どうしてだろう。どうしてもこうしてもない。生きるためには労働が必要だし、食事が必要だし、睡眠が必要だし。勉強しようと思って時間を確保するとその分綺麗に削られる時間が出てくる。限られていて、私は自由にやりくりすることが下手だ。書くのも飽きてきたほど歴然とした事実で、考えるだけで頭が痛くなる。

 言葉について誠実であれという意見も、自分の思考に対して、自分に対して、あるいは他人に対して誠実であれという意見も、別に受け入れられる必要はないのだし、それを強要する意味もないのだし、他人に何かを求めるのはあまり有益なことではないのだろうし、そこにあるものを受け入れるほうが極めて自然で何も歪みを産まないし、あああれやこれやとマイナス思考が連なりそうなのだけど、眠くなるまでこのままぼーっとしていよう。

 

では。

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