2013-11-27

 2,5限だけ出た。あんまりちゃんと聞いていなかったけど。そのあとは図書館で原稿進めていた。主に『意識の起源』の冒頭を読むことに費やした。読書のメモはいつも付箋を貼って後でタイプして記録してたのだけど、ちょうどpomeraの電池が切れたのでノートに書いた。やっぱりノートに書いた方が頭に馴染むし楽しいなとも思った。時間はかかるけど……。手で書けるスピードの文章入力くらいがちょうど思考しやすい、というのはどこかの教員も言っていた気がする。経験則かつ個人差があるものだろうけど。でも速読があっさりと否定されるように、重要なものは焦らずゆっくりと咀嚼して取り込まなければ自分の引き出しに入ってくれないということはわかる。専門書焦って読んでも全然頭に入ってこないしメモ取らないと記憶にも残らないし、一体どういうことなんだろう、という。

 自分にとって知識とは何なのだろうという話なのだ。たとえば中学高校で学んだことがすべて頭に残っているかと聞かれるともちろんそうではなく、今や勉強したことの半分も覚えていないだろう(当時授業を聞いていた時間は完全に無駄だったわけではなく、脳の発達には寄与しているんだろうけど)。忘れてしまうじゃないか。それは自分を失ってしまうことのように悲しい。忘却を自覚したときの喪失感は、自分の欠損や欠落、あるいは死の先駆の感覚に近い。

 すべて目的のための道具なのだから、必要ないことは忘れていく。必要なことは何度も取り出して自分のものになっていく。学習や経験に関するものは知識に限らず何もかもそうした在り方をしている。だから悔やんでも仕方がないのだ。どうしても惜しいなら、記録に残すしかない。それこそ自分の人格をそっくりそのまま残すのだっていい。それが可能ならば。

 

では。

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