2014-02-17

 昼ごろ起きてアルバイトへ。新しい作業があるから今週は時間を多めに割いてくれと言われる。お金なかったしまぁいいかという反応。夜は軽く食べて、家に帰ってきてからはごろごろ寝ていた。気力湧かない。どうやら朝あたり完全に布団を被らないで寝ていたらしくて、あまり体調が良くなかった気がした。生きてるしいいかという感じ。やっぱりデスクワークでも集中すると疲れるらしい。何も手に付かない。明日大学の用事あったみたいなんだけど一応行きたい。

 日記には感情を残すなと、その日あったことを淡々と書けとどこかで読んだ。過去の自分が考えていることなど過去の記録を読まなければ知ることはできないのに。でも昔の自分の文章を読んでいると、それは当然いろいろ思うところはあるけど、昔にも自分は生きていたのだと知ることができるわけで。少なくとも、これは自分だという認識はできる。他の誰でもなく。書いたことをわずかに覚えているのもあるし、雰囲気が自分のそれだと思えるし。結局、書き残すことに意味があるのかないのかと考えると、私は意味があると思うし、何かを常に書き残していたいと感じている。これはただの記録でしかない。何らかの世界像を構成することもない、誰かに意志を伝えようとすることもない。力強さを持たない、きわめて中立的な、色のない文章(でありたいと思っている節がある)。

 一人称が自分でない話をはたして書けるのか。たぶん書ける。「私」と書きながら私でないことなどいくらでもある。薄弱の意識でのろのろとキーボードを叩くことに何の意味が。寝たくないわけではない。どちらかと言うと気分が悪くて寝られない。こたつが温かい。今日もまた一日が終わる。意識など簡単に朽ち果てる。目を瞑って耳を塞げばだんだんと意識と無意識の区別がつかなくなってくる。覚醒と非覚醒の境界など無いのかもしれない。

 戯れた言葉ばかりで自分が自分で疲れてくる。頭の中に言葉を浮かべるというのはそれだけで体力を消費するように思える。携帯電話の角に傷があった。前の携帯電話は投げて落として割ってしまった。不注意みたいなものだ。衝動的な行動を抑制するのが下手くそだ。どちらかと言うと抑制できるけどここで抑制していたら体が持たないみたいな感じがあったりすることはある。そんなに溜め込んで何の得になる。誰も損しないのなら好きにすればいいのだ、という危害原則みたいな。あーと思った。正しいと思っていたけど、無意識の中では受け入れられていなかった。私の基準はおそらくそれなりに道徳に過ぎている。良い意味でも悪い意味でも。大きく出られない人は都会で運転するのは向いてないねという話を免許を取った時にされたのを思い出した。だからどうした。

 人を傷付けるくらいなら自分が死んでやる、という考え。私にとっては珍しい考え方ではなかったのだけど、その意識も弱くなっているというか、だんだんと気をつけられなくなっているなという感覚がある。自分の利益を優先するようになった。というよりも、他者の利益を優先する余裕がなくなってきた。電車で席が譲れないとかそういう次元の話だけど。疲れてるしいいか、と思ってしまうが、そしたらお前いつも疲れてるじゃないかという話に。

 全体的に無理しすぎてるかもしれない。そんなつもり全然ないのだけど、どうにもしっくりこない。心と体が嘘をついてくれない。ずっとずっと家で寝ていたいのかもしれない。勉強もせず、本も読まず、生活に必要なお金を稼ぐこともせず、食事は最低限、ネットを見ることもなく、ただ死んだように認識の中のすべてを自分のものにして、見ているものと見ていないものの区別がつかなくなって、そうしてようやく何かを思い出すのではないだろうか。そのとき思い出せたことが、自分にとって一番に大切にするべきことなのではないか。綺麗にまとめようとしたけどただ空腹と睡眠を訴えるに決まっている。

 頭が悪い。心が悪くても体のせいにしてしまえばよくて、温かくしてたくさん寝て美味しいものを食べるに限るのだった。それでも気分が落ち込んだままならそのときに考え直せばいい。

 

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