2014-02-25

 深夜にラーメンを食べたせいでろくに眠れずに早朝から出立。とくに乗り降りを間違えることもなく(大宮の待ち合わせで時間が余って座っていたら危うく寝てしまうところだった)無事に到着。現地の移動はバスなので酔ってしまう。小さい頃から車に弱い。いや人は元来車より弱い生き物であるが、そして私は一応自動車免許も持っているのだが、依然として車に弱い。乗る前から酔っているかもしれない。新幹線に乗っていて気付いたけど、どうやら私は重低音やら高音やらにここしばらく神経質になっているらしくて、高速で移動する車内の低く鈍い音響にうんざりしてしまった。直近で飛行機に乗った時にも(いつだったか忘れてしまったが)同じ事を思った気がする。

 教育の意義を説くために行くのではなかった。そもそも年頃の若い生徒が抱くような反抗的な思想の受け皿になって同情しながらもそれを克服する手がかりを与える、くらいの役割しか持てない。教えられることには限りがあって、私やほとんどの周囲の人間は他人の生き方を大きく変えるような力なんて持っていない。ある種の感動すら与えられない。無力だと嘆くのは自己憐憫に近いのだが(そもそも何かを為せると信じているのが間違いだと思える)、しかし悔しさは感じるとする。何なのだろうこれは、と。

 こうした考えを与えるきっかけにしかならない。でも私は現実を見て聞いて考えることになる。それは私にとって必要で重要なことだろう。一人前に未来を憂いているか? 将来について考えているか? 大きな正義感など抱いても溺死するだけで、自由とジレンマを抱えて普通に生きるしかないのかもしれない。

 emacsいじりしたくてUbuntu立ち上げたのだけど、セットアップが面倒で先に進まない。C++でパズル解くくらいのことはしたいのだけど。

 

では。

 

 

広告を非表示にする