2014-07-18

日記

 午前は病院に行って帰ってきて昼寝して夕方は喫茶店で勉強して夜は学科の人と飲みに行ってた。夏の冷酒!みたいな感じで久しぶりに日本酒を飲んだ。あれは良いものだ。

断片

 「僕たちは何か価値のあることができるんだろうか」
 無意味な問いかけだと思いながら口にした。「価値」が何なのか、「できる」が何なのか、指示するものがよくわからない言葉に連なった「僕たち」は、捉えどころのない世界を生きているに違いなかった。しっかりとした足場が欲しいわけではない。浮いたり彷徨ったりするのが好きな性格の集まりだと僕は思っていた。だから僕の言葉は、自分が浮いていることを自覚するための手段にすぎなかった。

 一度きりで綺麗な世界が描けるわけじゃない、と彼は言った。寡黙で言葉を選ぶ男だった。その言葉も、何度も試行を繰り返して選んだものなのだろう。絵を描くのが好きだったが、大学に上がるときに辞めてしまった。それから小説を書き始めた。冷静な性格の印象である反面、とても情熱的な文章を書いた。けれども冷たい筆致だった。熱く燃え盛るものを凍えるような冷たさで描いていた。彼の文章を初めて読んだ時、かつて初めて彼の絵を見た時とまったく同じ心象が浮かんだ。そのときの感動が忘れられない。彼はいま筆を擱いて作曲をしている。たぶん、媒体は何でもよいのだろう。そのうち、ろくろを回し始めるかもしれない。

 ずっと願っていることがあった。自分のために世界が滅んでくれないかなって、ずっと、でもたぶん中学生くらいのときから、ときどき忘れてたりもしたけど、まあだいたいずっと思ってた。親友に話して、じゃあ死ねばいいんじゃないのって指摘されて、ああそっかと思って一度自殺未遂をした。それ以降、だいたい私は世界が滅ぶことを願わなくなった。母親に泣かれたから。どうして死のうと思ったの、世界が滅んで欲しかったから、どうして滅んで欲しいの、わからない滅んだ世界を見てみたかったからかも、死んだら見られないじゃない、それもそうだね。私は馬鹿だった。
 これから何を願って生きるか考えようと思って、少ないお小遣いを貯めて心理学の本を買った。そのとき学問らしいことをしようとして手頃だったのが心理学だったのだ。高校の図書館にあったけど、人の手垢がついたものは読みたくなくてわざわざ買った。親友に話して、本屋のやつだって誰か立ち読みして手垢ついてるじゃんって指摘されて、ああそっかって思って手を付けなくなった。学問はやめた。進学はどうするのと母親に訊かれて、神学はニーチェに殺されたんだよと答えた。そのときちょうど物理学だか神だかの新書を感想文で読まされていた。母親はもう一度進学はどうするのか私に訊ねた。たぶん大学行くけど学問はやらないと答えた。母親は大卒のくせに教養のかけらもなかったから、とくに文句を言わなかった。行きたいところに行けと父親が口を挟んできた。18切符で東京行きたいんだけど。じゃあ大学でも見てこい。そう言って父親は旅費を出してくれた。高校二年目のとある夏休みの日だった。切符は安かったから、残った旅費は秋葉原でフィギュアに使った。大きかったから宅配にして品物欄に「私だと思って大事にしてください」と書いた。すぐ地元に戻ってきて3日間くらい親友の家でだらだらしてから帰った。
 都内の大学に通うことになって東京に住み始めた。3日目で母親に「個の存在が迫害されている観があります」という電報を打った。母親は一日経ってから「獅子は我が子を東京という名の千尋の谷に突き落とす」と寄越した。殺されると思って大学のカウンセリング室に行った。お前みたいなのはたくさんいてだいたい大学を辞めている。が、とりあえず休学にするのが多いから診断書持って学生課に行け、ということだった。即座に休学ドロップアウトした私は図書館に引き籠もって(仕送りのお金で買ったなるべく新品の)本を読んだ。六畳間でも本を読んだ。心理学の本を見つけて私は何かを願いたかったのだと思い出した。むかしむかし世界が滅んで欲しいと願っていたことを思い出した。東京。たしかに滅んで欲しい。私の願いは時を超えて形を変えて再燃した。1300万人、いや昼間人口は1500万人を超える。歴史を遡ってもこれだけの数が一挙に、という事件はない。私にできるか、できるはずがない。こっそり放射性廃棄物を持ち込んで撒けばいい、と小説で読んだことがあった。私はやらないけど、もしかしたら誰かがやるかもしれない。人類は馬鹿だなと思った。私にとってはもう滅んだも同然だった。気が晴れて復学した。母親は喜んだ。留年した。父親は行きたいところに行けといった。今度は旅費を出してくれなかった。代わりにいつぞやのフィギュアが下宿先に送られてきた。売ってお金にして夜行バスで日本海に行った。直江津から北に歩いてたどり着いた波止場から海を眺めると、やっぱり世界には滅んで欲しくないなという気になった。大学で真面目に単位を取るようになった。親友は一足先に卒業して、私が卒論を書いている間に結婚して、久々に会った時には母子手帳に熱心に書き込みをしていた。産まれてきた子供には、あなたの母親のせいで一度自殺未遂やったことがあるんだよと何度も言い聞かせた。私は大学院に上がって有耶無耶な人生を送っている。

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