2014-09-12

日記

 昼ごろ起きてだらっと過ごしてからアルバイトへ。道中につけ麺を食べた。胃が縮んでいたために中盛を食べるのがやっとだった。満腹になるコストが下がったと考えれば何の文句もない。ただし空腹が近づくのが早くなるという代償がある。夜まで作業をして日付が変わる頃に帰ってきて缶ビール飲んでだらっと過ごして寝るところまできた。
 今日考えたのは、学費のこと、人文科学の研究のこと、企業の社会的責任のこと、平等と同化差別のことなど。たまにこうやって自分が何考えていたか単語だけでも並べておくのがいいかもしれない。習慣になることなく忘れてしまうだろうけど。
 作曲家が同じような曲を作るのは必要なことなのだろうかということを以前からたまに気にしている。同じというのは、新しい曲を聞いてもああこれはこの人の曲だとすぐに気付くことができるような音色やコード進行の類似を指して書いている。利点は作曲家として個性を確立できること。特定のジャンルや特定の雰囲気を表現することに特化できる。ひとつの曲を気に入った人が他の曲も気に入りやすくなる。ファンがその強度を高めやすくなる。欠点は新しい展開の曲を作れずに音楽が限定的になってしまうこと。気に入らない人は気に入らないという事態が起こり得る。ゲームや映画のBGMなどの楽曲を発注する側としては、様々な曲を同一の人に頼むということができなくなる。器用に柔軟に多様な雰囲気の曲を作れなければ、たとえ楽器を変えたとしても、個々のBGMの存在感の強さで作品全体の印象がその作曲家の個性の印象に侵されてしまう危険性(もちろんそれを作品の長所にするならば別だが)がある。最近のアニメだとアルドノア・ゼロや残響のテロルがそうかなあ。澤野さんや菅野さんの曲という調子がアニメの至る所で滲み出てきて、作品の内容が作曲家の存在感に寄ってしまうことになる(菅野さんはまだ柔軟に曲を書き分けている印象があるものの、澤野さんは別作品の曲とも似すぎている。曲そのものは好きだけどアニメBGMとしては向かない気がする)。これはどちらが正解とも言えない。曲の個性によって作品の雰囲気を作り出すか、作品の雰囲気を尊重して引き立ててくれる曲を使うかは、監督の裁量だろう。といっても先に挙げたお二方くらいになると、作曲家のネームバリューでアニメが売れてくれるから、それに乗っかるのは商業的に見て正しい選択だと思う。単曲では好きなものが多いし、私のように好む人間がアニメを視てサントラにお金を落としてくれるなら良いことだろう。

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