2014-09-17

日記

 昼前に起きてうどんを食べに行って書店に寄ってそのままアルバイトに向かった。午後は夜までひたすら作業。WinWordの仕様に悩まされる日だった。人は人が生み出したものに惑わされる。自然に惑うだけでなく。夜は帰ってきてビール飲んだりしていた。あとは書き物。あとピアノの音。
 たぶん私は何かが変わったのだろうから、『素晴らしき日々』でもプレイし直そうかなぁと思って起動して1時間くらいぽちぽちしていた。ここで私が特別なシンパシーを感じていたとしても、それは占いで得られるものと同じような、普遍的で、一種の麻薬めいた作用をもたらすものでしかない。流れてくる言葉は、理解することができたと思ったとしても本当は何の意味も持たないし、事実としてふわふわと宙に浮いているにすぎない。以下の文章は頭がぱらぱっぱしただけのものです。
 シンプルに考えるべきであって、あらゆる概念をそぎ落として残ったものを扱うべきであって、やっぱりスタートは安定した土台でなければならない。いったいなにが安定しているかなんてわからないじゃないか、すべては認識で構成される世界にすぎないのだから、と言うのなら、あなたの認識や私の認識などという瑣末なものにこだわる必要すらないのだということを理解してもらわなくてはならない。認識という言葉すら怪しいものだ。認識の外について、つまり私たちの認識に何らかの情報を与える何かについて、きちんと腰を据えて決めなければならない。本当は何も無いかもしれないけど、信じて決めなければならないのだ。そこで逆に自分こそがあるのだと確信してしまうのは、烏滸がましいと言うべきではなかろうか。うーんやっぱり東洋思想の方が大事なんじゃないの。
 そういえば私は高校生の頃、ソクラテスプラトンアリストテレスの区別もついていなくて、デカルトやカントが何をした人かも知らなくて、哲学という言葉で思い浮かべられるようなものは何もなくて、ただヴィトゲンシュタインゲーデルあたりの名前だけ知っていたのだけど、それ以外の知識は一切何もなく、私にとって世界は画用紙の絵だった。私は無知で、でも自分は考えることが好きだと思っていたから、漠然としたイメージだけで哲学に親近感を抱いていた。自分という存在は哲学という学問になら受け入れてもらえるんじゃないかと淡い期待を持っていた。それは間違いではなかったかもしれないけど、しかし私は悪い意味で典型的な哲学には共感できなかった。典型的学問としての哲学は、私が思い描くような営みではなかった。いや、断定するのは怖い。おそらく私は今、私が選ばなかった哲学に対して、間違ったイメージを持ってしまっているに違いない。彼らは彼らなりに誠実にものを考えていて、その行為自体は否定できるものではない。……でもやっぱり、目指すものが違うように思う。私も今はかなり道を逸れてしまっているのだが。今の私は人間に関する探究に寄り過ぎてる。人間なんてくだらないものだとまでは言いたくないけど、そこまで時間をかけることでもない。若き人生を、老後の余暇を作るための社会貢献だと思うのか、はたまた何も解決せずに死に絶えるか。それでも、人間の考えたことの研究よりはましだと思うんだけど、何がましで何がましじゃないかって完全に私の価値観だからこれ以上はただの悪口になってしまう。玄関先までやってきて要らぬ正義感を押し付けてきた探偵さんを思い出した。
 考えていることを単なる記録として(第三者に説明することを意図せずに)書き殴ると(いやこれでも文章として通るように整形しているけど)こんな風にぐちゃぐちゃでぐるぐるなものになる。頭の中が整然としていない。語尾も安定しない。一人称も安定しない。自分の中で筋が通ってると思っても飛躍があったりする。ずっと昔に言われたことだった。まだ覚えている。あれが私の思考様式について初めて受けた指摘だったかもしれない。君は論理に飛躍が多い。確かにそう思う。今も変わらない気がするんですけど、先生。中学三年の読書感想文。
 そうだあともう一つ。もっと探すべきだと気付いた。みんな馬鹿だとむやみに悲痛に叫ぶのではなく、自分が共感できるような考えを書き記して生きていった人を命を賭して探すべきだと。その意味では詩人のような心があるべきかもしれず、彼が冷静にしかし懸命に詩集のページをめくっていた理由を考えるべきだったのかもしれない。僕は大切なものを見落としていないだろうか、と、どこかに落としたかもわからないものに希望を託すことで生き延びようとする。それで自分の生き方が肯定できるのなら、これより貴いことはないように思える。いや、でも、肯定することも怖い。常に手探りでいい。疑いながらでいい。胸を張って歩くことには対外的な価値しかない。精神が折れなければ何でもいい。しかし人は脆い。簡単に燃えるし、水死体はすぐに醜いものになる。精神の話をしているんじゃなかったのか。精神なんてものは存在しない、じゃなくて。普段書くような文章から存在者としてありえないものを黒く塗りつぶしていったら、ただ黒くペンキを塗るだけになってしまうよ。哲学に関する文章を書くことへの不安は尋常じゃないなって思います。何が正しいのかもよくわからないのに(正しさもよくわからないのに)何かを主張しなくてはならないなんて、「私は嘘をついていますよ」って言うようなものじゃないか。

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