2014-10-10

日記

 朝から洗濯干したりして研究室のミーティングに。英語ぜんぜん喋れなくて恥をかく。なんだかなぁ。まったく喋れないうちは事前に話すこと決めて書き出しておいたほうがいいかもしれない。言いたいことを英語に換言する努力はたまに脳内でしてるんだけど(街歩いててとっさに英語が出てきそうな雰囲気にしたりとか)、でも出てこない。お昼は神保町のイタリアン的なところで食べて、そのあと本屋でいくらか漫画を調達して、研究室で読んでいた。輪読の打ち合わせをして(担当は11月末だ)、アルバイトに来て、作業のふりしてせっせこセキュスペの勉強(あとこれ書いたり)。午前Ⅱの勝率は今のところ五分五分くらい。来週はアルバイト行かずに午後対策に費やしたい。いろいろ見ているうち、セキュリティの概念的なパターンがだんだんわかってきた気がする。おそらく、全容を把握するにあたってのコツみたいなものがあって、なんだ結局あれやこれやの構図と一緒じゃんと思えるようになればおおよそ勝ちだと思う。自分の頭に馴染むまでもう少しの辛抱。
 最近は単発の予定をぽこぽこ入れていて、平日は空いた時間をアルバイトで埋めて、でも土日は入りきらなくてちょっと暇になる。暇というか、やるべきことは多い代わりに、やらなければならないことはない。そうしてのんびりする時間ができて、ふと寂しい気分になって、ああでもこれは空腹だからだろうなと思い直して食事をすると、普通に戻る。うーん。全体的に落ち着いていて、変な感じ。平坦で、あんまり起伏がないような。流れ出ている感覚がないくせに、だんだんと枯渇していってる。それで、潤いが足りない!!って言って漫画読んだら、結構すっきりした。満たされない、ではなく、自分で満たさなければならぬ。救われない、ではなく、自分で救わなければならぬ。
 なーんかどこかの大学の文化祭にでも行こうかなぁ。東工大のは明日なのか。人多いとこにわざわざ行くのもなぁという気分で行動への閾値を超えないから多分行くことにはならないだろうけど。よく考えると、学生と言っても大学生でいるのは今年度が最後なのだな。だからどうということもないものの、やっておきたいことあったかなぁと列挙してみたい気分になる。
 ここしばらく頭を占めている(社会的な事柄についての)自分の考えを表明して、第三者に評価される、という機会があった。昨日のことだけど。私が滔々と話をするものの、相手はあっさりと理解を拒否してしまった。広いですねとか深いですねとか、へぇそんなこと考えてるんですかとか、上っ面の評価だけ返して、同意も同調もなにもなく、考えている素振りすら見せてくれなかった。あなたは何なのだ、と思った。本題とは関係のない表面的な珍しさのある部分だけ面白がって、それで終わりだった。何か意義のある反応がなされるだろうという期待をしていたわけではないけど、あまりにも無意味だった。ああそうか、もしかしたら頭のおかしい奴だと思われていたのかもしれない。というかそもそも、私がしたのは相手の同意を求められるような話ではなくて、納得できるような話ではなかったのだ。一連の会話は、精神病の患者の弁明を受け流すような、対話を模した儀式だったのかもしれない。私はもうそれで疲れてしまって、しかしあたかも健全な会話がなされて満足したというような顔をして、丁寧に挨拶をして、その場を去った。もっと慎重になるべきだったのかもしれない。あっさりと自分が考えていることを開陳して、理解されることで承認を得ようとするような態度は、あまり正しくはないのかもしれない。私の行ったことは単なる意見表明でしかなくて、特別に何か有意義な返答が得られなかったとしても、悔やむべきではないのだ。それはたとえば、街頭で募金活動をしていて、こちらを一瞥して気まずそうに去っていく人を眺めるときの気持ちと似たようなものに違いなくて(実際に感じたことはないけど)、気にし続けていたら心を病んでしまうタイプの適切でない正義感だ。なんかくだらないことを書いてしまった。
 ストイックに生きられているような気もする。あるいはようやく社会的に普通の規則正しさが分かってきたような気もする(これもひとえに早寝早起きの賜物かも)。惰性とか堕落とか、あまり認められるべきでないような怠惰な感覚が、少しずつ放逐されているような。うーん、、、嘘っぽい。あまりこうやって自分のことを良く書くべきではない。肯定的になりすぎると慢心して死ぬ。ただ単に気張れているだけだと思う。よくわからない。でも少なくとも9月中旬に続いていたような、毎日夜にビール飲む日常からは脱した。それが悪かったと言いたいわけではない。ただ、あのときは何も手についていなかった。今も似たようなものだけど。
 文章が散漫で恥ずかしい。私は「~て、」でいろいろ繋げて書く癖があるみたいだ。書きたい内容の一連の流れをすべてひとまとめにして語ろうとしている。読みづらい気がするし、単調だし、あまり望ましいことではない。理由の列挙も「~だし、~だし、」って単純化して書きたがる。文章の書き方を工夫しようという努力を放棄している。疲れているわけでもないし、精神的に参っているわけでもない(と思う)。睡眠に関しては、1時までに寝るようにすれば二度寝のリスクが極端に下がることがわかった。8時間確保すれば日中の眠気も抑えられるから、できることなら日付が変わるまでに布団に入った方がいいみたいだ。精神の健康は身体的な部分のカバーでかなり何とかなっている。だからそこまで心配することはないのだけど、でも逆に不安になったりする。ぼーっとしてる。
 文章表現に気を遣っていたときのことを思い出した方がいい。2、3年くらい前は、それなりに綺麗で調子の良い文章が書けるよう頑張っていた。今だって、日記以外の文章ではそうかもしれない。あっ、へー、情報セキュリティワークショップなんてあったんだ。お金あってもっと早く知ってたら行ってたかもしれない。んーやっぱり、やることを無理に増やしている気がしないでもない。これでいいのかどうなのか。是非を考えても仕方ないが。時間と経験と、お金のトレードオフ。容量ギリギリまでやることを突っ込もうとする自分の性分的に、自由に調整できるアルバイトを選んだのはそうした無理を加速させる一因になっているのではないか。どうでもいいか。無理なときは無理で、体が先に音を上げるし。そのときはたくさん寝ればいい。
 そうだ、そういえば研究のことについて考えたのを書かなきゃいけなかったんだ。いろいろと統計的な自然言語処理について考えるうちに、問題設定をどこにおけばいいのかがよくわからなくなってしまった。つまり意味論からきちんとやると言い始めたら本当にゼロからすべてを組み立てなきゃいけないわけで、そんなことは研究にならない。趣味でやれという話になる。そうなると春からどういったテーマで取り組むのかということがさっぱり見えてこなくて、周りの学生が取り組むテーマはあまり面白くなさそうだし、重箱の隅を突くようなテーマ設定はしたくないし、近いうちに教授に相談したほうが良さそうだ。哲学の方の院生さんと話をしたときに、やっぱり自分が一番好きなことを研究に据えるのは面倒が多くて、二番手くらいを仕事にしたほうが良い、ということが言われて、まったく同意見だった。その意味ではやっぱりセキュリティ方面で飯食った方がわかりやすくていいのかなと考えたりしたけど(就職先をその分野で選ぶということね)、実は自然言語処理がそもそも二番手だったということを思い出して(頭が悪い)、なんとも頭の痛い話だなぁと溜息をつくのだった。考えるべきことが多い。さっさと能力と実績をこれでもかと積み上げたい。まだまだ若いからとか学部生だからとか言ってられない。実績を出さなきゃいけない壁みたいなものが欲しい。こんな甘えたことをうだうだ言ってる場合じゃなくて、自分で作るべきだな。いつまで経っても自信がつかない。
 最後にもう一つ、「死ぬか教祖になるかしかない」という話、口頭ではそうでもないというか理解できるけど何とかやっていけてる、と返したけど、でも冷静に考えて死ぬしかないのに今までどうして生きていけたのかというと、それは間違いなく二人称的な人物の存在のためであって、私にはそれくらいしかないのだった。自分が今抱えている研究への意思は、もうそれしかないと他を切り捨てられるほどに強いものではなくて、だからもちろんノーベル賞に至ったような研究者と同じような姿勢とは言えず、むしろこの意思は何かに裏打ちされるためだけにあるのであって、自分の気構えなんて大したものではないのだ。あとは極端な話、死にたくないという感覚だけ。
 自分で救わなければならないとか書いておいてこれだ。人間は本音と建前と恥の意識と自制心でできている。

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