2014-10-17

日記

 21時に寝て10時に起きるというのをやった。研究室のミーティングには出ずに(だって英語喋れないんだもん(逃避))、昼から行って勉強をしていた。輪読会も座ったままで何もせずに終わって(無気力にもほどがあった)、夜まで勉強を重ねて夕飯は友達と神保町の天ぷら食べて御茶ノ水周辺をぶらついてから帰ってきた。お酒飲みたかったけどお金がなかったので我慢した。バーで飲みたいんじゃーーーって言いながら家に残っていた気がした缶ビールに賭けたけど残ってなくて愕然とした。黙って寝た。
 シャツ越しに伝わってくる空気から、秋の寒さではなく冬の寒さが感じ取れるようになってきて、寒いなぁ、自分はどうしてこんなにも自分の人生にこだわっているのだろうなぁ、とぼんやりとした疑問を抱いたりした。というのは、自分の意図する形の人生に自分があまりにも拘泥していることを私はかなり歪だと感じていて、たとえば目標がどうとか家庭がどうとか、思い描くことはあるのだけど、でもそれは自分の心からの願望ではなくて、「こうでなくてはならない」という決めつけの下にあるような気がしてならないのだ。そう、心からの願望なんてだいたい三大欲求が満たせればいいのかもしれなくて、でも私は人間らしく人間であるために見栄を張っているだけなのだ。本当にそうかは知らない。どちらかというと、きちんと心から目標や野望や成したいものについての展望を持っているけど、上手く行かないような気がしてならないから目の前からすり替えようとしているのかもしれない。こうやって自分の防衛機制的な感情の動きをわざわざ切り開いて文章にする行為、自傷みたいに高校生くらいの頃から止まらない。よくわからない。結局は自分に自分が振り回されないようにしているだけなのだけど、これでも十分振り回されてる。文章から出てこないだけましなのだろうか。というかもういい加減にこういうのを書くのはやめたほうがいい気がする。こうでもしないと落ち着かない、というのはあるのだけど、、。まだまだ未熟だなぁ。恥ずかしい。
 家庭における文化資本について考えてしまったのだった。文化資本がどうとか考えてしまう時点でたいした文化資本をもって育っていないことは明らかで、私はせかせかと教養主義に走ったり芸術に関心がある振りをしたりして、必死にそれっぽさを繕おうとしている。実家の父の棚には世界の絵画全集だのクラシックのCDだのがたくさん並び、母の棚には小説や教育や資格など様々な本が並び、小さい頃にピアノを習わされ、それはもう上向き中流階級まっしぐらの生活をしていたわけだけど、しかし私はそうした造詣を深めることなく育ってしまい、本を買っては読まず、図録を買っては一度も開かず、クラシックの曲もたいしてわからずに雑多な音楽ゲームに心血を注ぐ(言い過ぎ)という、俗に俗を極めた生活をしていて、目も当てられないのだ。私は教養も芸術もわからぬが、文化資本に関しては人一倍敏感なのであった。くだらない人間だと思う。人目を気にしているわけではないが、理想的なそれに縛られている。言い訳がましく書けば、動機の全てが下手な義務感というわけではなく、半分くらいはきちんと興味関心に由来している。わかってる、余裕のある人間の嗜みというものですね、それはやっぱりお金がないとね、教養も芸術も伸びていかないのだと思うよ。芸術方面の感情に豊かな人は、生活を営むことそのものに煩わされない人に等しい。もちろん連続的な話ね。私ももっとお金と時間があったら、クラシックのコンサートとかたくさん行くからね。たぶんね。
 ああ、あとそういえば、この日記は独りだった頃から書いていたわけではないから、とても精神的に安定しているときのことしか書いていなくて、これからどうなるんだろうなと、冬が来るなぁと、考えたりした。冬は小さい頃から好きだったけど、いつしかだいたいは寂しい季節になっていて、最近はそれが拭われつつあった。寂しかった冬は、寒かったような、喉が乾燥して声が出ないような、そんな季節だったような気がしないでもない。安い喫茶店で紅茶を飲みながら暖を取って勉強していたかもしれない。自分が何をしていたかあまり思い出せない。でもそういえば三年くらい前の冬はアルバイトで忙殺されていたし、四年くらい前の冬は勉強で誤魔化していた。さらにその前の冬は、想像するのもおぞましいくらい、ええと何をしていたっけ。普通の高校生をしていたのだと思う。いろいろ思い悩むのが好きな、普通の高校生を。
 もっと色々たくさん書いたけど、消した。強くがんばって生きようと思った。

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