2014-10-23

日記

 正午を過ぎた時間に起きた。寝たのは遅かったから仕方なかった。大学の講義は3限にあったのだと思いだし、急いでシャワーを浴び、身支度を整え、家を飛び出す。昼食は講義の後に食べればいいのだからと大学に向かい、大幅な遅刻をし、講義を受ける。小銭を数えて食堂に行くと、ちょうどいい金額の丼物がある。それを平らげて、ああ用事があったのだと済ませ、他にすることもなかったのでアルバイトに行く。作業はそれなりに進んだものの、ああでも最後のデバッグまでは片付かなかった。日付が変わる頃、終わらせるのを諦めてアルバイト先を出て、安いラーメンを食べた。あまり味がしなかった。食事というよりもカロリー摂取だなぁと思った。帰ってきてからはゲームをやっていた。昔の。
 もっと何かを書きたい。自分のためではない文章を書きたい。それは一体何だろう。わからん。ただ今日は、自分はわがままな人間なのではないかと思った。あるいは強欲、我執や妄執。形容しがたいが、おそらく他者にとって気味の悪いものというか、受け入れがたい、近寄りがたいものなんじゃなかろうか。そんなことないならいいけど。子供が好きって言ったら驚かれた。子供が好きというよりも、子供の目線が好きなのだ。一緒にいると立場的に上だからとかそういうわけじゃない。彼らの純粋で素朴な精神は(ときに残酷だけど)、私たちが忘れ失ってしまった何かであって、ときどき思い出すべき何かだ。
 もし違う性に生まれていたら、子供と関わるないし心理学寄りの仕事を志していただろうと思う。同じ両親に同じような条件で育てられたら、という話だけど。仮定法には意味がないか。しかしまた、自分の属性を部分的にすり替えてみることで見えてくるものも、たまにある。変えることで照射されるものが、たまにあるんじゃないか。それらしく話をまとめたいだけの理由で書いたけど。
 足を伸ばした先に本の山がある。本の山と書いてもそれは単に十冊かそこらの本が重なっているだけであって、文字通りに山を成しているわけではない。成しているわけではないけど、そういった本の重なりが部屋の各所に点在している。机の左端と右端、食卓の上に2つ、下に1つ、テレビの台の脇に2つ、足元にいくつか、本棚の前にも大きいのが1つ2つ、本棚の上にも1つ、などなど、読みもしない本と書類の山が私の身体の容積よりも部屋を占有している。困ってないけど困った。もう少し大きな棚が欲しい。というよりも部屋が大きくなってほしい。
 また金の話か。父は言った。高校時代。私は申し訳なさを感じながら参考書のレシートを渡す。細かいやりとりが嫌いだったが、何もないよりはましだった。おそらく父もそれを願っていた。互いに積極的な性格ではないということを親子で理解していた。だんだん私も親孝行の重要性がわかってきて、話をするようになった。父は仕事熱心だった。家事はあまりしなかった。私に対しては、「まだまだお前の知らないことはたくさんある」が口癖だった。あの頃よりは知っていることも増えた。もちろん彼の言っていたようにまだまだ足りないのだけど、それでも知らないことの広さが掴めてきている。世界の広さが思い描けるようになっている気がする。成長したと表現することが許されるのなら、自己肯定の助けにもなるか。

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