2015-02-01

日記

 朝方のニュースを見て気分が悪くなってしまって、空腹もあいまってやってきた胃の痛みを堪えながら布団に入った。起きたら17時くらいだった。日曜日だし起きなくてもいいし、私が寝ていても誰かを傷つけることなどないのだから、と思いながらずっと身体を小さくしていた。どうしてそんな判断を持ちだしたのかはわからないけど、でも自分の行動を正当化するための何かが必要だった。しばらくして起き上がり、ゲームをしたりプログラムを書いたり紅茶を飲んだりピアノの音を聞いたりして過ごした。
 何かが描きたいと思っていたものの、具体的に何が描きたいのかはわからなかった。自分の衝動は何かに対する創造的な同調への意思として成り立っていて、そこに明確な輪郭など在りはしなかったのだ。心地よさや美しさを見て取って、揺さぶられるような感覚を得たからこそ、それを自らの手によって反復したいと思うだけなのだ。こういった意思は、それがどんなに崇高なものだったとしても、きわめて個人的なものであって、何かを訴えるというよりも何かに巻き込む在り方で他者と関係をもつのだと思う。本来的には、他者の目に触れさせるものではないのだろう。
 そうだ、だから私は、昔抱えていた他者への意思みたいなものを今はすっかり忘れてしまっていて、自分の問題に精一杯になっている。諦めてしまったのかな、と思う。人と人には絶対的な隔たりがある。私はあなたとは違う。同じ人間であったとしても、身体も経験もすべてが異なっている。何に対して楽しさを感じ、何に対して悲しさを感じるかということが、決定的に重ならない。幸せも苦しみも擬似的にしか分け合えない。それはとても悲しいことで、その悲しさですら一致することがない。そうして、言葉を尽くそうとする炎は消えてしまう。
 言葉も感情も身体と環境と経験から湧いてくるものだ、ということにして、人を描けないかと思う。やはり私は、何を書こうとしても、それをどのように純粋な形にできるかぎり純粋で誠実に表現するかということにこだわってしまう。混ざりものは少ない方がいい、できるだけ寂しい方がいい、問題はいつだって個人的で、どんなに努力しても溝は埋まってくれないのだから。
 海外旅行をしようと思っていたのだけど、今日の一件で一気に行く気が失せてしまった。何よりもまず恐怖があって、今は家を出ることにすら臆病になっている。自分を失うことへの忌避はいつまで経っても減らない。お人好しでも自己犠牲でもなく、私は自分が一番大事なのだと思う。そしてそれが悪いことだとは思わない。
 大きな予定を潰したおかげで時間的にも精神的にも余裕ができた。あとひとつ試験が残っていて、それさえ終われば学部を卒業できる。辛抱しなければならないことも無く、無事に片付いた。よかった。でもやっぱり、私はまだ何も成していない。納得できない。わかっているけど、おそらく一生納得できないと思う。それでいいか。
 卒業論文のおかげで人間に関することについてはおおよその検討がついてしまった気がしていて、どうしても面白味というかわくわくする感覚が抜けてしまった。限界みたいなものに触れて、それからまた戻ってくる、ということをしなくてはならないのに、その境界線に触れるのが遅かった。しかもその線は依然として曖昧だ。戻ってこようにも納得ができていない。ひとつとして数理的な論理学が、そしてさらにきっちりと物理主義的な基盤を持った形而上学が必要だ(矛盾しているけど、でもそうなのだと思っている)。ラインを確定させることだ。そしてできればその外側についての物語をつくることだ。

 夜は少しだけ外出して食事を済ませ近所の喫茶店で読み物をして過ごした。家に帰ってきてからはゲームをしていた。どうにも気持ちが沈んでいるのは、やはり朝見た事件のせいなのかもしれない。どうして自分がこんなにも心を痛めているのか、いや本当に痛めているのかはよくわからないけど、やるせない気持ちがあったのは確かだし、純粋培養箱入り人間だった私が非現実的な現実を目の当たりにして飛ばされてしまっているということなら否定できない。もっと単純な話をすると、動画ではカットされているあの瞬間に何があったのかを思い浮かべてしまうのだ。刃が皮膚にぷつりと傷を入れ、左右に動いて肉を裂き、鮮血が溢れ出てきて、その刀身が首に埋まり見えなくなっていくような光景を、どうしても想像してしまうのだ。実際に見たわけじゃないのに、焼きついて離れない。ずっと苦しめられてる。逃げたい。
 寝られるかわからないけど寝よう。

広告を非表示にする