2015-03-20

日記

 朝早く起きて食べて書いて定食屋行って食べて書いて書いて食べて寝た。1日じゃ原稿終わらなかった。

雑記 [writing, philosophy]

・構成案
 国内学会の投稿レベルの原稿の話。
 1. はじめに
 1.1 背景
  分野としてこれが問題だ
 1.2 先行研究
  既存の研究はこの問題をクリアしきれていない
 1.3 本稿の目的・方針
  問題をクリアするために必要なこと
  考察する領域を狭めるとか、簡略化とか
 2. 概念的な整理、理論的な裏付け
  クリアのための理論的な土台はこうする
  項目で節を分ける、抽象的な概念の場合は具体例も
  一番注力したいのはやっぱりここだけども……
 3. そこから提案されるモデル
  だからこういう実装や処理をやってみる
 4. そのモデルの評価
 4.1 実験方法
  それが上手くいってるか評価するよ
 4.2 結果
  良いか悪いか
 4.3 考察
  結果についての原因とそこからわかること
 5. 終わりに
  今後はこうします、ここが足りないです
 参考文献
  なるべく強そうに見えるようにいろいろ書く
 みたいな。だいたい4ページかそこらに収めなきゃいけないので、どこを削るか・簡素にするかということになる。おそらく実験手法あたりを小さくするのがベストな気がする。この節を書く理由はその評価を高い実証性と正当性で実現できているかを示すためだけど、そもそも再現性を確保するための情報を全て原稿に載っけるのは難しいので、それならば最低限のことだけ書いておいて具体的な手順は自身のウェブサイトにコードや再現までのスライドをまとめて置いておくのが理想なのではないか。中途半端に書いたために、読んだ人に「再現できないけど?」と突っ込まれることになってしまうのはよろしくない。論文は理論的・技術的着想の土台とそれに基づく成果、これくらいでいいのではないか。あーだこーだ言っても全ては紙幅が悪いのだし。

・結局意味って何なの?
 本来的表象の志向的内容である、でいいのかな。表象理論の整理がいまいちだからもう少し掘り下げないといけない。
 表象は本来的表象と派生的表象に区別される。「ある生物の内部状態が本来的表象である」ことは、「その状態があるとき、そしてそのときにのみ遂行されるような行動が存在する」ことと同値的に定義される。本来的表象は他の表象の媒介なしにあるシステムに利用されるが、対して派生的表象は、なんらかの本来的表象を介してあるシステムに利用される(このあたりの定義は鈴木(2015)『ぼくらが原子の集まりなら〜』の5章から引用)。ここでの本来的・派生的は、固有機能の概念における直接的・派生的とほとんど同じだと思う。書き並べて比較しないと正確にはわからないけど、理論として位置付けは同じだと言えそう。
 重要なのは、本来的表象を定義したあとで再帰的に派生的表象が定義されるという点かもしれない。ちょっと書いてみる。生物は拡張して「システム」と書くけど、ここでは生物の定義を緩めた情報処理的なシステムを想像していて、これの定義もまた別に必要になる(課題1:情報処理システムの定義)。
 (0)以下で定義される本来的表象と派生的表象のみが表象である
 (1)あるシステムOの内部状態Sが本来的表象である⇔「Sがあるとき、そしてそのときにのみOが遂行するような行為φ」が存在する
 (2)ある物理的事象Xが派生的表象である⇔Xを遠位の事態として知覚し本来的表象として用いるシステムが存在可能である
 かなぁ。(2)の定義が怪しいよね。「遠位の事態として知覚する」というのは、「何らかの物理的な対応関係にある事象の連鎖によって何らかの刺激をシステムに取り入れる」くらいに書きたいんだけど、ここは情報量の概念とか刺激とか「知覚とは何か」みたいな議論が必要になる(課題2:知覚の定義)。
 「存在可能である」にも検討が要る。というか派生的表象はシステムと相対的に定義されるのではないか。たとえば知覚器官が知覚不可能な事象は派生的表象になりえない。一方で知覚器官が知覚可能な事象はすべて派生的表象になりうる。知覚不可能な事象というのは、たとえば人間にとっての紫外線とか、原子レベルの粒子とか、可聴域外の周波数の音とか、「刺激として感知できないもの」を言う。感知できないなら絶対にそれに対するアクションを返すことができないので、本来的表象にはなり得ない。すなわち、「感知できないシステムにとっては」派生的表象にもなり得ない。ここが重要ですね。感知できさえすればそれに対する応答を生成することが可能、というか刺激に対して必ず何らかの応答を生成することになる。これは意識的無意識的を問わないし、もしかしたらシステム外に表出しないかもしれない。ということで、知覚可能性に境界があるということが言えると思う。だから(2)は次のように書き換えるべきか。
 (2)'あるシステムOにとってある物理的事象Xが派生的表象である⇔Xを刺激としてシステム内に取り込んだとき、その内部状態が本来的表象となる
 でもこの定義だと派生的表象同士の関係が提示できない気がする。ひとことで言うと派生的表象が連鎖的な対応関係にあるときにシステム側がどういった本来的表象の操作をするのかがこの定義だと説明できない。ミリカンの言うゆるい繋がりとやらなのだけど、それは推論可能の範囲に入る。でしかもその推論可能性は自然的記号が情報を流す形で示される。よくわからない(課題3:派生的表象の埋め込み関係について)。
 さらに、「すべての内部状態が本来的表象になるわけではない」という点に注意する。内部状態と行動の区別は、システム内の動作かシステム外の動作かということになりそう。人間にとって脳はシステム内だけど手足はシステム外。うーんでもシステム内からシステム内への動作を誘導するものもあるだろうから、まだまだわからない。すべての内部状態に対して何らかの行動が構成される、というわけではないよね、と言われたらなんとなく納得できる。でもここはやっぱり行動の定義が必要(課題4:システム内外と内部状態と行動の定義)。
 本来的表象と行動がどう結びつくか、つまり内部状態から行動への選択は、消費理論で説明される。そのような行動を遂行することで生存の確率が上がる、という目的論的な説明。かつ内部状態も目的論的に分節化されている。これくらいでいいのか。
 私たちが欲しい、一般に求められているのは派生的な表象についての意味だ。派生的表象は本来的表象を介してシステムに利用されるので、派生的表象が本来的表象をどのように導き、さらにシステムが本来的表象をどのように利用するかが意味に等しい。本来的表象には記述的側面と指令的側面があり、記憶や信念的な推論のできる高次の動物のみ両者が分化している。記述的側面と指令的側面の区別は消費の過程でもっとも顕著になる。整理しないと。
 ・派生的表象は本来的表象として分節化され目的論的な消費理論に基づいて利用される
 ・本来的表象には二つの側面がある:記述的と指令的
 ・記述的側面=本来的表象そのものにおける分節化に対応している
 ・指令的側面=本来的表象の利用における行動の決定に対応している
 ・純粋に指令的なものはほとんどない
 ・オシツオサレツ→記述への移行は連続的で明確な線引きは不可
 これくらいかなぁ。記述的側面だけを意味とする態度もありなのかな。ダメっぽい、どっちもだろうな。純粋に記述的な表象の例は概念的志向とか文字とかだろうけど、純粋に指令的な表象は何だろうなあ、行動に直結した表象ってことだよね。純粋ってのはちょっと難しいかもしれない。ということで表象の意味とは、本来的表象を介して消費理論に基づいて利用されるときの記述的・指令的な志向内容のことを言う。あ、でも派生的表象を生産する側を考慮した意味がないと言語記号では使い物にならないぞ。まだ話が終わらない。
 でもここまで整理できたので諦めていよいよ原稿を書こう。目標は「推論を挟まない(=直接知覚)かつ言語表現のみから察知できる指令的側面の志向的内容を把握することだけを目標としたシステムを作る」ということになる。準拠領域は21世紀の日本語ということで。こう書くのはいいけど周りの人わからなくない? こういう発表をすることに何のメリットがあるのか。烏滸がましいけど、啓蒙とか?

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