2015-03-27

日記

 なんか最近記事に星をつけてくるタイプのスパムが増えてる(広告系のやつ)。困ることはないからいいんだけど。
 朝に原稿直して提出して、二度寝して午後に起きてアルバイト行って作業して日付変わってから帰ってきた。漫画を読んでた。
 自分の一番やりたいことって何だろうなって、ずーっとずっと考えてきたつもりでいたし、そのために何が必要で、何が足りないか、そして何が不可能かということも何度も思い悩んだし、でも自分には結論が出せなくて、それはたぶん自信がないからで、能力がない(と少なくとも自分で思っている)からだ。
 頭の良い人が周りにいなかった。もちろん自分を含めてそうだったわけだけど。自分の観測する範囲には、世界を変えてくれる可能性を秘めているようなとてつもなくすごい人というものがいなかった。いや世間的に見ればそういう人がたくさんいたのかもしれないけど、私がこう思うという範囲ではやっぱりいなかった。もしかしたら高校にいたかもしれないけど、飛び抜けてどうと言える人は一人あるいは二人がせいぜいで、その人達も「世間一般でとても頭の良い人」の範疇を出ていなかったように思う。だから何だって話だけど。たぶん大学の同学年にいたとしても数人。ああそうだ、小学校の塾から同級にはならなかったもののずっと所属が同じ人がいるけど、彼は全国模試で一桁を平然と取っていた気がする。うーんそれでもダメだ。どんな試験にも必ず一位の人がいるわけで、一位が絶対的にすごいというわけではない。数字に騙されちゃいけない。想像を超えてくれる人というのは、同世代に一人とか、数年に一度とか、そういうのだ。そして私は、そういう人ではない。残念というか、それは運みたいなものだし。他の何かで自信を持てればいいのだろうし。蛇足だけど、課題を解くさいの最適化が上手いことと創造性があることは全然違っていて、それについての頭の良さみたいなものを取り違えてもいけないよなあということを最近よく思う。
 べつに何の話をしたいわけでもないのだけど、私はいま手近にいる頭の良い人(というよりも努力をしている人と言ったほうが正しい)を基準にして追い付くというか努力目標にしている。ここ1年くらいはそう。もちろん私とやりたいことが同じというわけではないので、姿勢として見習うという程度なのだけど、それでも動機になるというか、がんばらなきゃなーくらいのことは思えるようになる。そしてがんばるためにはある程度の経済的余裕や精神的余裕が必要で、みたいな話にすぐ傾いてしまうのだけど、それは今回は置いておくか。
 目指すか目指さないか、というシンプルな(そしてナイーブな)判定だけを試みるなら、おそらく前者を選ぶことになるのだろうし、目下の最重要課題はそのための経路の選び方なのだから、何を言うでもない。何を目指すかというのも問題なのだけど、簡潔に言うならばこの知的好奇心みたいなものを生活の主軸にするかしないかっていうだけの話だ。でもこれが適切な仕方で発揮されるというのはなかなか難しくて、どうやればうまく掬える形になるのだろうと悩んでいる。
 自分の文章がすごくふわふわしている。缶ビールを傾けているからとかそういうのは関係なくて、完全に自らが話し言葉のままの輪郭をこの文章に持たせようとしている(逆に言うとあまり形式張ってほしくないとか、読みやすいままのほうがいいとか)だけで、いやしかし読みにくいと思うし、私の思考のままに吐き出すとこうなる、というありのままを書いているので、いかに頭の中や言葉が雑かということがわかる。
 そういえば、原稿を書いて教授に添削してもらうというのを初めてやったのだけど、自分の文章がいかに下手でわかりにくいかということを思い知らされた。推敲全然せずに提出したからというのもあるかもしれないけど、構成すらまともに検討せずに勢いで書いて、実験も適当に進めて、とりあえず形になればいいやみたいないい加減な態度を地で行くことになってしまった(関係ないけど着眼点は悪くないと自己弁護をしたい)。今はかなり反省している。
 ひとつの理論が唯一妥当なことを言ってるというわけではなくて、いろんなひとのいろんな理論が唯一妥当なことの別々の側面を切り取っている、と思う。少なくとも私が人間にかかわるいろんなものの見方に触れた範囲ではそう思った。もちろん明らかに間違っているように感じられるものは多いし、正しいと思えるようなものでも完全に正しいわけではない。やはりどこか間違っていたり詰め切れなかったりしている部分があって、それを遠くの別の人が補っているのだろうし、それらを全て統合したからと言ってすぐに完全な解答が得られるわけでもない。ちょっと飛躍するけど、こういうことを考えられるようになったという意味で、私は学問そのものについての視座みたいなものをこの数年間、とくに直近2年間で学んだのだと思う。もっとも、それを感得するのは大学ではなく高校生の頃でも良かったはずで、そうした蓄積のなさを少し悔やんだりもする(今となっては活力に転化するしかない)。
 まあいいや、ちょっと方針が見えたのは、表象理論の分類のアプローチが脳科学的にどう位置づけられるか(記号理解の表象的な分離が脳機能の局在的なあれこれで説明できるんじゃないかとか)ってところかなあとか。なんかまた研究室の主流から外れてしまうような気がする。でも他の研究室で似たようなことやってるとこがあるかって聞かれると微妙というかそれは本当に別に良いところが見つかってからとか、担当教官に別のせんせー紹介してもらうとか、そういう感じで。
 結局人間のことがやりたいのかっていう印象を自分に持ってしまっていて、いや私が本当にやりたいのは世界のほうなんだけど、無理っぽいというか私より圧倒的に頭の良い人たちの手によって高みに持ち上げられてしまっているような気もしていて、これについては勉強会を通して距離感を掴んでいきたいと思う。そもそもまったくやってないだけだし、という弁解もできるわけで。どうせやらないだろう、という非難もされることになるか。たぶん私、自分が思ってるよりも格段に頭が悪いのだし、そう決めつけてしまっても何も損をしない。それよりも努力ができないのが何よりも問題。
 原稿提出できて気が緩んだ。しばらくは自分に何かを課すのを止めて新生活めいたものをやり過ごさないと。経済的あれこれのために生きていけないかもしれないのが焦点です。

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