2015-06-23

日記

 昼前に起きてうだっとして昼過ぎから恵比寿で用事を済ませてあとはアルバイト。夜は神保町で食べてゲーセンに寄って帰ってきた、でもちょっと遊んでる時間が長い気がしてきたから駄目っぽい。
 もっとずっと常に自分を奮い立たせなければ、と思う。それで何かが為せるわけではないのだけど。私はいったい、何がしたいのだろう。何もしたくないというのは嘘じゃないかな、と思い始めている。でも明確にしたくない、輪郭を持たせたくない、というのも感じている。だから保留にしたまま、曖昧なまま、赴くままにやるしかないかもしれない。馬鹿みたいだけど。
 自分に能力がないことを自覚すべきだし、それは手首に傷が見えるような頻度の戒めであるべきだ、と思っている。できないことや知らないことがあまりにも多すぎるし、それを補う努力も充分ではない。そのくせに平気な顔をして生きていて、大言壮語に耽っている。
 苦しい。

 このまま日記が終わってはいけないような気がするのでまだ書く。主に研究のこと。現状、行き詰まっているというわけではないけど、関心を広げすぎて収拾がつかなくなっているという事態に陥っている気配があるので、全体像を考え直す。というよりも研究という言葉を使うのも烏滸がましいほど何もできていないのだから、私のやっていることとは……。
 で、目標をきちんと構えるところから始める。私は人間の頭の中を知りたいと思っている。そして脳の内部状態が言語として形を持つ仕組みを知りたいと思っている。これ以上動機について書くのは恥ずかしいからやめておく。要は人間のこと全部、とりあえず言語的な側面から、という話です。
 私は卒論で意味論をやって、結局は進化論的な目的ベースの意味の規定がなされるべきで、かつ記号の生産者と消費者の間で互恵的に反復されることで慣習化して言葉になった、みたいな理論を追った。これはこれで間違ってないと思うけど、意味論だけでは言語全体は説明できない。よくよく考えると彼女(ミリカン)の論は内容語に限定されていたのでは? と思わなくもないし、機能語や統語的な側面については言及が弱かった。勉強が足りなかった。
 そういうわけで最近勉強して、言語の統辞的な性格は認知的な機構を下敷きにしているのだ、という認識を強めた。体系立てられた言語はその根源的な存立の条件として「記号として表現される内部状態が持つスキーマ(パターン、カテゴリー)」が必要で、このスキーマがあるからこそ共通の記号で事態を表現することが慣習化できたのだ。考えてみれば当たり前のことで、たとえば格助詞や前置詞を自然に使い分けることができる能力は認知のパターンやカテゴリーの違いに由来している。つまり認知的なあれこれが先にあって、そこから言語が湧いてくるという構図。
 ここで認知言語学と生成言語学がどのような対立を見せるのかが定かではないんだけど、「言語能力の根幹をなす統辞」が脳において他の認知機構とどれくらい強固に結びついているか、の考え方の違いだと思う(あ、手元に本がない。トマセロ『心とことばの起源を探る』の訳者解説で対比が書かれていた)。ただ、ここまで来ると分野としての二分法にはあまり意味がないから、脳において物体のカテゴリーや時空間の認識がどのようになされているかを追究した方が生産的だと思う。
 ここまでの話は単純といえば単純で、(何年かかるかわからないけど)脳さえ調べ尽くせば解決する。その一方で、機能的な模倣がどういった方向で進むかという問題がある。昨今の流行りが技術的な特異点に至るまでの道程は、おそらくとても長い。でもその過程で実現される技術は、部分的には人間の能力をあっさりと凌駕するし(将棋で勝てないみたいに)、人間の助けになるだろうし、人間を滅ぼしもするだろう。だから、道具的な意味での進歩はそう遠くない。でも相互的に理解し合うような協調的な関係が持てるような実現は、かなり遠いと思う。もしかすると実現が果たされる前に人類は滅んでしまうかもしれない、と心配になってしまうほど。書き過ぎかな、たぶん余計なお世話。
 私がいま個人的な課題として抱えているのは、学術的な理論研究と技術開発の間隙をどうやって埋めるかということだ。両者の雰囲気は掴めてきた。それぞれの営為を駆動させている活力の源が深いところで違っているということも確信として持ちつつある(良くない線引きをしてしまっているけど、私はまだ両者を融和させる考え方を持てていない)。私の動機はほとんど前者だ。けれども何も生み出さないで理論だけを提示するのは虚しいし、地道に実験を重ねて知見を蓄えていく態度も苦手だ。言ってしまえば全体像が作りたいわけで、その再現を文章だけでなく実際に動くものでやれればなぁと考えている。まだ無理かなぁ。今この時期にこんな妄想書いてるだけじゃ何もかも駄目って感じがする。
 じゃあ具体的に何をどうするか。その話を詰めるのがこの文章の目的だったのだけど、眠いから寝る。いいのかそれで。