2015-08-17

日記

 起きたら昼だった。疲れていたので問題なし。午後からアルバイトに行く予定だったけど行きたくないーってゲームやってたら雨が降ってきた。ちょうど良いと思って行く時間を遅らせた。労働をするわけでもなかった(研究系のほうだ)のだけど、とにかく外に出たくなかったし、人と会話をしたくなかった。昼食に冷凍食品を消費した。
 雨が止まないうちに力を絞って外に出た。わずかに風もあった。半袖だったから涼しかった。雨はそろそろ止みそうな雰囲気だった。街まで出てみると肩や背中を濡らしている人がたくさん歩いていた。ピーク時は部屋の中まで轟音が聞こえるほど強い雨だったからだろう。
 アルバイト先に着いても作業に集中できない。というよりも、今やっているテーマがあまり面白いとは思えない。しかし担当の人にそういうことを今更言うのも失礼なので(この躊躇いが命取りになるのだろうから、今後はしっかり表明できるように心掛けたい)、とりあえずといった体で続ける。二時間くらい続けただけで集中が続かなくなった。体が拒否する。他に作業している人とも距離が近いし、その場を去りたい感覚が強くなる。帰宅すると告げて逃げた。わざと遠回りする電車に乗った。ゲーセンに寄った。調子はそんなに良くない。
 コンビニで夕飯を買って家に戻ってきた。食べたいものが特にない。コンビニの食事というのは飽きる。でも飽きるという意識をしないように気をつければそこまででもない。たまに外食を挟む余裕はある。冷凍のパスタだけを何食も連続させるわけではないのだ(そもそもパスタなら自分で茹でろという話だけど、ガスコンロを使うということすら数ヶ月やっていない)。
 夜は特に何をするでもなくPCの前に座っていた。無気力。たまにゲームをする。アニメを見る。日記を書く。昨日買ったCDを消化する。やっぱり何かをする気力は起きない、選択肢として用意されているものを受動的に選んでいるだけ(程度の問題だけど、精神的にコストの低いものばかり選んでおり、生産性は一切ない)。
 文章が書きたいと思ったのだった。やっとの思いで書く。寝る。

断片

 正しいことが知りたいというのが根底にあった。次いで、正しさあるいは正しい説明には様々な記述の次元があるということを知った。何かについて記号による表現を与えるとき、三点のことを考えなければならない。一点目はその記号が正しい仕方で何らかの事態を表現しているかどうか。二点目は、複合的な表現が命題を与えるときに、その命題が正しいかどうか。三点目は、一点目と二点目の正しさをどのように説明するか。気持ちが悪くなってくる。今私の目の前、机の上には、発泡酒の空き缶がいくつかある。これは正しい。ああいや、ちょっと待ってください、私はこんなことを書き始めたいわけではなかった。
 基本的に私は記号や表象ってのが何たるものかという話を追ってきたつもりで、もちろんそれは現代思想的なあれこれではなく自然主義的・生物学的なあれこれとして展開される。固有機能がどうこう言う話を調べて書いたのだけど、今から思い返すと本質的にはそこまで重要ではない概念だった。
 話が逸れるけど、分野を跨ぐような議論や概念的な階層を含む問題は、記述のレベルの話さえすっきり通せていればあまりに頭を抱えて死にそうになることも無くなるかなぁと思う。あるいは目的論的に分節化して(そう、分節化や認知的なスキーマなどという便利な言葉が世の中にはある)記号や言語表現を解釈することの重要性を知っておくこととか。
 ということなので、固有機能という概念はその名の通り機能的なものを説明するには便利だったのだけど、記述のレベルが高すぎて抽象的なレベルに留まってしまったために、あまり使い物にならなくなってしまった。哲学的にくだらない議論を避けるためのツールとしては使い勝手の良い概念として重宝できると思うけど、哲学という分野から外に出してあげようとすると何にも勝てない。必要とされる概念のレイヤーが違うからどうしようもないのだけど。
 自然言語処理における自然言語への態度が嫌いだ。数ヶ月この分野を見ていて思った。やはり工学は学問ではない、とも思う。八つ当たりみたいなものだけど。
 言葉を大切にしたい。電子的に解体されない世界で紡ぎ出したい。一方で書いて、もう一方で切り刻むなんて、自己撞着も甚だしい。でもたぶん今後もそういう生き方をすることになると思う。