2015-08-30

日記

 今日も朝から勉強会だったけど、お酒が入っていたせいで起きたのは(起きる気になったのは)昼前だった。昼から行って話を聞いていた。私は元来の性質からして講義や発表の類の話を集中して聞くことができないので、「聞く振りをしていた」が正しい。他に何かをする選択肢がある状態だと、時間がもったいなく感じてしまって別のことを始めてしまう。そうして集中の対象が脱線して、肝心の話についていけなくなって、収拾がつかなくなる。と言っても、高校の頃は板書を移すことに集中できていたような。それでも教員の話は聞いていなかった記憶がある。話は聞いてないけどノート取っておけばいいか、みたいな感じだった。話がわからなくて試験前に苦労するのはいつものことだったけど。
 夕方になって会を終えてから、友人に会って食事をしたり世間話をしたりCDを買いに行ったりゲーセンで遊んだりしていた。平和で実体のある日曜日だった。デデデデの3巻を買ったので家に帰ってきてから読んだ。なんというか、政治的な描写が増えた気がする(追記。あとで1/2巻も読み返したけど、改めて見ればもともと多かったっぽい)。それは悪いことではないけど、現実との距離が近くなるとこちらが強く炙られることになってしまう。私はそのこと自体に抵抗はないものの、他に読んだ人はどう感じるのかが気になる。
 距離が近づいたのは、それだけ現実を信用できなくなっているということの裏返しなのかもしれない。私だってそう思わないこともない。あまり突っ込んだことは恥ずかしいから言いたくないけど。「結局、私たちはこのように生きて、このように死んでいくのだ」ということばかり思う。そして私は、内側からぼんやりと人々を眺めて、ゆるゆると巻き込まれていくだけの存在にすぎない。「導くだけの力はない」と書こうとしたが、こう表現するのは正しくない。個人は誰だって他の人々を導く力など持つことはできないのだと思わずにはいられない(ここで導くという言葉は肯定的意味で使っている(その良し悪しをどう決めるか、という話もまたあるわけだけど)ので、悪い意味で煽動してどうこうというのはできると思うけども)。あー、くどくど書きすぎてしまう。人間や社会について過度に触れるのは止めておきたい。やっぱり何よりも恥ずかしい。
 あまり忙しくないから文章を書けている。本当はもっと勉強や研究に時間を割かなければならない。でも今は分野のあり方や技術を闇雲な発展にばかり気を取られていて、集中できずにいる。「いったい私たちはどこに向かっているんでしょうか?」と問う。哲学は、あまりにも嘘っぽくても、アプローチの仕方が間違っているように感じられても、(一通りだけではないにしても、)わかりやすい目標があったように私には見えた。今はどうだろう。同じことばかり書いてしまってすみません。
 荒野を開拓していくことには変わりないじゃないか、と切り返されたら何と答えよう。小気味よい言葉は思いつかない。動機が違っているとしてもやっていることは同じじゃないかと指摘されたら、私はどうするのだろう。いえ違うんです、動機が違っていることは大切なんです、と説得を試みるか。動機とは何だろう。私たちがそれに救われたことがあったのだろうか。
 いや、私はそんなに高潔で誠実で素晴らしいものを求めたいわけではなくて、何だかんだ言って上手くいっていないことに釈明を重ねているだけなのです。話を綺麗にまとめようとはせず、皺だらけの風呂敷を広げたまま眠りにつくのです。おやすみなさい。

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