2015-10-06

日記

 ひさびさに大学で講義を受けた。2限は計算機言語論みたいな話、3限は休みで、4限は認知的な情報処理の話で、5限は機械学習の話だった(既知というか簡単に自習できる内容が多そうだったのと、履修者が多すぎたので、途中で退出してしまった)。昼にtoei/cのテキストをまとめ買いして、講義のあとに少し取り組んでいた。テキストをセクションごとにバラ売りするのを止めてほしいのだけど、まだ試験日まで2週間以上あるからちゃんとやろうと思って買った。3冊で5000円。普段買う本より安いので感覚が麻痺して抵抗なく出せる(良くない)。夜はゲーセンに寄ってチャーハン食べて帰ってきた。ビール飲んでアニメみて寝た。
 響け!の最終回直前の話の「うまくなりたい」って叫ぶやつ。私にとっては「特別になりたい」よりも共感が強かったりする。変な話だけど、特別になりたい・人と違うことをしたいという感覚はもうすでに根強く持ってしまっていて、今さら意識することはあまりないように思う(こう書くとすごく胡散臭いけど、本当かな……)。それよりも歳を重ねるにつれて強くなっているのは「やりたいことはあって、目標は高いのに、何も成せない」という劣等感だ。それは「うまくなりたい」と(主観的には)同じ感覚で、端的に言えば「悔しさ」だと思う。
 でも私はそうした悔しさをすぐに忘れる。若く溌剌とした彼女の(まだアニメの話!)生々しい悔しさとは対照的に、思春期から遠ざかった私の感性は鈍ってしまっていて、あるいは生来の怠惰さもあって、仮にしっかりと輪郭をもった感情が湧き出したとしてもすぐに失われ、穏やかに何もせず過ごすことを求めたくなってしまう。私は本当は何がしたいのか、「本当は」を考えてしまうのが間違いなのはわかっているのだけど、ひとたび自分の本来的な欲求について思いを巡らせてしまえば、やりたいことがある自分と何もやりたくない自分の間で振り子が揺れ始める。するともう身動きが取れなくなってしまって、気付けば一日が終わっている。
 このように本音のようなものをためらいもなく公に書くこと、もっと恥ずべきだと思う。ある種の作家がたまにする下手な言い訳と同じで、「書かなければ考えが進まない・まとまらない」のだ。それをもうずっと長い間続けてしまっている。