2015-12-06

日記

 昼前に起きた。コーヒーとパンを食べながら昨晩読んだ論文のメモを残した。午後になってシャワーを浴びて外に出て、池袋まで出て三省堂を見て(あまり自分の関心のある分野の品揃えは良くなかった)、ジュンク堂認知言語学の本を買って、カレーとハンバーグを高いお金を出して食べて、ゲーセンで遊んでから帰ってきた。夜はずっと文庫本(『色彩を〜』)を読んでいて、5時間くらいかけて読み終えて寝た。
 読める本と読めない本というのがあって、それはおおよそ文章が韻律的に丁寧かどうかにかかっているなと思った。数日前に文学理論の概説書を買ったのだけど(安かったから目次だけ見て購入を決めた)、文章のリズム感が悪くて読み進めることができなかった。むろん韻律の取り回しはとても難しい。でも読める文章には歯切れの悪い韻律や形の整っていない韻律があまり出てこない(因果関係は逆で、だから読める)。
 私はおおよそ音声的な処理の比重が大きい人間らしいので(本当にそうなのだろうか?)、うまく音として入ってこないものを扱うのは苦手にしている、気がする。だからというか、内語なしで読むことはほとんどできない。私が内語なしで行えるのは「検索的に」読み進めることだけだ。すでに読んだ本について既知の情報がどこに書いてあったかを探すとき、文章が求めているキーワードに言及しているかを目視で検索している感覚。そのときには内的な発話はない。おおよそ速読というのはこれの拡張なのかもしれないけど、よくわからない。
 個人的には、やはり音韻的な・韻律的な心地よさというものはかなり重要な割合を占めているように思う(こと小説においては、だけど)。たぶん同じようなことは前にも何度か書いている。もしかすると人は一般的にそうなのかもしれない。少なくとも私は重視すべきことであるように感じる。音韻的な心地よさやリズム感の受容性というのは、認知科学的に説明できるのかもしれないし、漠然としたイメージは持てなくもない。機会があったらそのたぐいの本を読んでみようかなと思う。

広告を非表示にする