2016-02-26

日記

 目を覚ますと9時半で、また目を覚ますと11時半だった。ミーティングは10時からだ。研究室に着いたのは13時で、輪読の担当だった。聞き手のまばらな演説をしたのち、喫茶店で昼食をとって、あとはアルバイトに行っていた。ちょっとだらだらやりすぎたかもなと思いつつ、別にこれでいいかとも思う。金銭感覚がおかしくなっているわけではないけど、私が貰っている・貰うことになる賃金など、わざわざ気張って作業に取り組むことの対価に足るとは感じられない。ほどよく手を抜いたほうがいいはずだし、細かなことに責任を感じていては身が持たない(半年ほど前に管理側のミスで自分の2ヶ月分くらいの作業がほとんど無に帰したことがあったけど、深く考えないことにしたのだった)。もっとも仮にフルタイムでそこそこの給料を貰えることになっても、相応の責任感が持てるかというとおそらくは無理だろうけども。ともかく21時前まで作業をして、とんかつを食べてゲーセンに寄ってのんびりとした電車で帰ってきた。夜はずっとまほよをやっていた。
 恥ずかしい話をするけど、私は可能世界論を馬鹿にしているわりに、創作された世界の実在性を現実世界のそれとほとんど近いものとして考えることが多い(読み返してみて思ったけど、あきらかにカテゴリーのずれた話なのだから、そこまで真に受けないでください)。私たちは物語を切り取って鑑賞しているように見えて、その実切り取られているのはこちらの方なのではないかと感じる。いや、感じたくなる(これは恥ずかしい話だ)。あれもこれも同じように、ひとつの世界として形を保っていることが疑わしい。自分の中ではおよそ平均化されていて、それらに貴賎を感じない。
 何度でも書くけど、そういった態度について述べてみたかっただけで、実は本音ではそんなこと微塵も思っていないかもしれない。それこそ非現実な何や彼やの具現化を願うような在り方と根は同じで、やはり恥ずかしい話だったのだ。それでもまだわからないが。

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