2016-03-20

日記

 宅急便で起きた。11時半くらい。どうするか迷ってから起きて、届いた本をぱらぱらめくって、13時からプログラム書く遊びをして15時半くらいまで粘って家を出てまた同じ定食屋で昼食をしてのんびりと研究室に向かって18時だか19時だかに着いて23時過ぎまでやることをやっていた。ゲーセンに寄って24時半くらいに帰って、アニメ見て、眠かったので2時半には寝た。書くべきものは終わってない。
 よくわからない。やることよりもクイズを解くのに一日の大半の時間を使った。ひさびさにしーぷらぷら書いた。自分に真に必要なことなのか確かなことは言えないけど、プログラムを書くのがうまい人が自分よりもこんなにいるのだから、言い訳のしようもなくかなり悔しいと思った。
 買った曲を気に入ってずっと聞いていたのだけど、とてもクリアで薄汚れた感じのない雰囲気に当てられてしまったというか、やる気が出ないのとはまた違う仕方で身動きが取れなくなっている。「もう自分はこうなることができないんだ」といった感覚に近い。物理的になり得なかったものへの憧憬なんてものを今さら抱いてしまって、一体どうするんだろうか。どうしようもない。
 あれはいいものだ、これはいいものだ、とかまびすしい振る舞いがあまり好きではないのだけど、その理由を深く考えたことがかつてあっただろうか、と気になった。覚えていない。もしかしたらそういった忙しない態度で生きる人は、好きなものを述べるのと同じくらいの頻度で嫌いなものについての信念を圧し殺しているのかもしれないと思ったりした。目につくあらゆるものや目につかないあらゆるものから感傷的に詩を引き出す行為は、実のところ対象とするものに大したこだわりがなく、なんだかんだ自分が気に入ることができるようなものが常に存在してさえくれればいいのかもしれない。そしてそれはそういった人の自覚的な処世術であって、なるべくなるべく呪詛が湧かないように何かに感情を捧げようと心を凝らして日々を生きている(と言えるかもしれない)。もちろん、騒ぐことがなくても何かに熱中したり熱狂したりできるのは、決して悪いことではないと思う。何もないとしたら、空虚さに意識を向けることしかできないのだし。

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