2016-04-13

日記

 8時半くらいに起きた。パンとコーヒーをして朝から勉強会に行ってみていた。何の話をしているのかはわかるけど自分の関心のある方向じゃないなあということは思った(つまりあくまで工具の使い方の話をしていて、どう工具を作るのかという話はしていないし、どう工具を使うのかの話も弱いのだと感じる)。お昼は本郷周辺で大所帯でパスタ的なものを。午後はアルバイトの打ち合わせ。そのあとは喫茶店(お気に入りのお店なのだけど忙しくてなかなか行けていなかった、)を経由して研究室の建物で講義を受けた。今の時点では知っている話だったけどこれからおそらく自分の知らない話になるので楽しみにしている。と言っても形式言語の理論と論理学はそもそも全然違うというか、形式言語自然言語に寄せるか自然言語形式言語に寄せるかくらいの違いがあるのかなと思った。言語学との距離で言ったら論理学の方が近いかもしれない。夜は研究室に残ったりもせず定食屋で夕飯を食べてゲーセンに寄って書店に寄って(『意味の全体論』と『ものと場所』を買った)帰ってきて疲れていたからすぐに寝た。けど眠れたのは2時くらい。
 思ったことを散漫に書く。概念的な道具立てというものは何らかの目的のために生み出されるけど、その目的がもっと先に行ってしまうと道具の方は古くなる。古すぎて今となってはあまり適切でないか、古くてもまだまだ使えるか、ちゃんと見極めるのは難しい。
 学問としてきちんと積み上げているように(外面では)見えていても、意外とあっさりと土台が崩れてしまうということがありえる。伸びが速くて大きい分野だと特にそうかもしれない。先行研究を追うべき時間的な深さは、扱っている問題の大きさにそのまま比例すると思う。一ページに満たない紹介で済んでしまうような歴史に始まる研究なんて、それこそ一ページで書けるような時間しか長続きしない。もちろんそれは価値に直結するものではないけれど。
 そうかわかった、私はもっと長く厚みのあるものを書きたいのだ。ページ数で一概に語ることは無粋だけど、やはり4だの8だのといった数で書けることなどたかが知れていて、それは簡略化された仕様書みたいなもので、論文と呼んでしまうのは何とも気持ちが悪い。それだけの短さでは何の目的意識も問題意識も読み取れないし、書き切ることもできない。目の前にいくつかの積み木を置き、今からこれを積み上げますという話しかしていない(比喩が下手だ、つまるところ「それほど自明で単純でつまらないことしかしていない」と言い切ってしまいたい)。もちろん、なるべくしてこの形(分野の在り方として)になっているので、それらの要因をちゃんと考えればまあ仕方ないよねと言えるのだろうし、私もあれこれが悪いと具体的に批判して悦に入りたいわけではないので、どうしようもないのだけど。おおよそ成果表明をする媒体の細かさは時間的な頻度に依存するはずで、情報分野はとても早い。
 論文なんて一年に一本書けば多いほうだと個人的には思う。でもそれはもちろん扱う内容によるのだ。私が今回書いているような実のないつまらない話なら、年にいくつも書けてしまうだろう。そうではなく、しっかり勉強したい。業績に焦るのは止めたい。ひとつの論文にしっかり時間をかけて、しっかり大切なことを言いたい。もう少し落ち着くべきだ。

広告を非表示にする